大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 昭和58年(ネ)480号 判決 1985年11月29日

控訴人

右代表者法務大臣

嶋崎均

右指定代理人

西修一郎

外九名

控訴人

熊本県

右代表者知事

細川護煕

右指定代理人

末満達憲

外一三名

被控訴人

仲村妙子

被控訴人

長浜実義

被控訴人

西川末松

被控訴人

松崎重光

被控訴人

坂本吉高

被控訴人

柳野正則

被控訴人

久木田松太郎

被控訴人

福山ツルエ

被控訴人

福山貞行

被控訴人

田上始

被控訴人

川崎己代次

被控訴人

宮本巧

被控訴人

白倉幸男

被控訴人

緒方正人

被控訴人

川野留一

被控訴人

森山忠

被控訴人

坂本輝喜

被控訴人

岩内次助

被控訴人

川本ミヤ子

被控訴人

荒木俊二

被控訴人

楠本直

被控訴人

髙木正行

被控訴人

野崎幸満

被控訴人

大矢繁義

右被控訴人二四名訴訟代理人

崎間昌一郎

建部明

後藤孝典

山口紀洋

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

1  控訴人らは各自被控訴人らに対し、別表一記載の各金員及びこれに対する昭和五七年九月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は第一、二審を通じ、これを三分し、その二を被控訴人らの負担とし、その余を控訴人らの負担とする。

事実

控訴人ら代理人は、「原判決中、控訴人ら敗訴の部分を取消す。被控訴人らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら訴訟代理人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の主張は、当審において、控訴人ら代理人が次のとおり主張を付加し、被控訴人ら訴訟代理人が、右各主張をいずれも争うと述べたほかは、原判決の事実摘示に記載のとおりであり、証拠の関係は、原審及び当審の記録中の各書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これらを引用する。

「一 仮に控訴人らに本件損害賠償責任が認められるとしても、被控訴人らが水俣病認定申請をしたことにより、控訴人県が被控訴人らに対してなした原判決別紙「治療研究事業に係る医療費等支給実績一覧表」記載の給付は、被控訴人らの損害額と相殺されるべきである。

二 被控訴人西川末松、同松崎重光、同柳野正則、同久木田松太郎、同福山ツルエ、同福山貞行、同田上始、同川崎己代次、同宮本巧、同白倉幸男、同緒方正人、同森山忠、同坂本輝喜、同川本ミヤ子、同大矢繁義については、検診を受けないか、または検診拒否をしたという事情があり、右の事情は、右被控訴人らに損害を生じ、又は損害が拡大したことの原因となつた過失であるというべきであるから、右各事情を右各被控訴人らの損害額を算定するにあたり、過失相殺として斟酌すべきである。

右の過失は、右各被控訴人らについて、いずれも九割を下らないものである。」

理由

一被控訴人らが原判決別紙「請求金額一覧表」の申請年月日欄記載の各年月日(但し、<証拠>によれば、被控訴人野崎幸満の申請年月日は昭和四八年六月一一日であることが認められる。)に知事に対して救済法三条一項又は補償法四条二項に基づき水俣病と認定すべき旨の申請をしたこと、知事は、右救済法又は補償法に基づき、右各申請に対し相当な期間内に認定又は棄却の処分をすべき義務を負つているところ、被控訴人仲村妙子に対し昭和五四年五月二六日、同長浜実義に対し同年八月一日、同坂本吉高に対し同年四月二七日、同岩内次助に対し昭和五五年五月二日、同野崎幸満に対し昭和五七年九月二日にそれぞれ認定の、同松崎重光に対し昭和五四年二月二二日、同柳野正則に対し同年八月一日、同久木田松太郎に対し昭和五五年一月二五日、同福山ツルエ、同福山貞行に対し同年六月四日、同田上始に対し同年九月五日、同川野留一に対し昭和五四年二月一日、同坂本輝喜に対し同年八月一日、同川本ミヤ子に対し昭和五五年一月二五日、同楠本直に対し同年九月五日にそれぞれ棄却の各処分をし、その余の被控訴人らに対しては、原審口頭弁論終結時である昭和五七年九月二九日に至るも認定又は棄却の処分をしていないことは当事者間に争いがない。

二ところで被控訴人らは、別表一の番号1、2、4ないし10、12ないし15の各被控訴人らと知事との間の熊本地方裁判所昭和四九年(行ウ)第六号、昭和五〇年(行ウ)第六号水俣病認定不作為の違法確認請求事件の確定判決の既判力からすれば、被控訴人らが前記のとおり一定期間認定又は棄却の処分をされず、あるいは現在に至るも処分をされないでいることは、知事の故意又は過失による違法行為というべきであると主張する。

しかしながら、右確定判決は、右各被控訴人につき、右事件の口頭弁論終結時である昭和五一年七月二一日の時点における知事の不作為が違法であることを確定し、その限度で既判力を有するが、右以外の時点における知事の不作為について既判力を有するものではないと解されるところ、被控訴人らの本件請求は、既に処分を受けた被控訴人らについては、前記申請の日の翌月から処分の日の前月まで、処分を受けていない被控訴人らについては、前記申請の日の翌月から原審口頭弁論終結の日の前月までの各月数につき一か月金四万円の割合による慰謝料を請求するというものであつて、右の期間における知事の不作為が不法行為を構成するというものであり、前記事件の口頭弁論終結時における知事の不作為の違法のみを理由とする請求ではないから、本件においては、右各被控訴人らを含めてその主張する期間における知事の不作為が不法行為に該当するか否かについて検討する。

三<証拠>によれば、被控訴人らの前記各申請に対する知事の認定事務処理の経過は次のとおりであることが認められる。

1被控訴人仲村妙子

昭和四七年一二月一八日申請。一一月二〇日、一二月一二日眼科、一二月一五日内科各検診。一二月二七日北野病院神経内科からの回答。

昭和四九年一月一六日審査会へ諮問。一月二〇日面接調査。二月一日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。八月一四日、一八日耳鼻咽喉科、一五、一七日眼科、一七日内科各検診。八月一五日面接調査。

昭和五〇年八月二二日審査会付議、前同理由で答申保留となる。

昭和五一年四月七日、八日眼科、九日内科各検診。四月七日面接調査。七月三一日審査会付議、前同理由で答申保留となる。

昭和五二年一〇月二九日審査会付議、前同理由で答申保留となる。

昭和五三年八月一九日内科、精神医学、二一日耳鼻咽喉科、二三、二四日眼科各検診。一二月八日審査会付議、要再検(資料不足)の理由で答申保留となる。

昭和五四年五月九日北野病院に対する調査。二五日審査会付議、水俣病の可能性は否定できないとして認定相当の答申。二六日認定処分。

2被控訴人長浜実義

昭和四八年六月四日申請。

昭和四九年八月二七日眼科検診。九月二七日面接調査。

昭和五一年五月八日内科、六月九日耳鼻咽喉科、六月一二日精神医学、八月二六日眼科各検診。一〇月一四日審査会へ諮問。一〇月三〇日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五三年二月一七日審査会付議、前同理由で答申保留となる。八月二日眼科、八月二〇日内科、一〇月一二日眼科各検診。

昭和五四年三月三〇日耳鼻咽喉科検診。七月三一日審査会付議、水俣病の可能性は否定できないとして認定相当の答申。八月一日認定処分。

3被控訴人西川末松

昭和四八年六月四日申請。

昭和四九年八月九日眼科検診。同日面接調査。八月一二日眼科、八月一三日耳鼻咽喉科、八月一四日内科各検診。

昭和五〇年八月一六日審査会へ諮問。九月二六日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五一年七月一九日眼科、七月二一日内科、七月二二日眼科各検診。一〇月二九日審査会付議、前同理由で答申保留となる。

昭和五三年一月二六日眼科、一月二八日内科各検診。六月二三日審査会付議、前同理由で答申保留となる。

昭和五五年九月一一日から一四日までに内科、耳鼻咽喉科、精神科の検診を予定したが、受診せず。

4被控訴人松崎重光

昭和四八年六月六日申請。

昭和四九年八月二九日眼科検診。一〇月三日面接調査。

昭和五一年六月一一日耳鼻咽喉科、七月三日内科、七月一〇日精神医学、九月九日眼科各検診。一〇月一四日審査会へ諮問。一〇月二九日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五三年一〇月七日内科検診。

昭和五四年二月一六日審査会付議、二月二一日水俣病ではないとの理由で棄却相当の答申。二月二二日棄却処分。

5被控訴人坂本吉高

昭和四六年一二月五日内科、精神医学各検診。

昭和四七年一〇月二五日眼科検診。

昭和四八年二月二三日眼科、耳鼻咽喉科各検診。六月七日申請。

昭和四九年一〇月九日面接調査。

昭和五〇年八月一六日審査会へ諮問。九月二六日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。一一月一日耳鼻咽喉科検診。

昭和五一年二月一七日、四月八日眼科検診。一一月六日内科検診。

昭和五二年一月二九日審査会付議、前同理由で答申保留となる。

昭和五三年九月五日眼科、一一月三日内科、一一月九日眼科、一一月二五日耳鼻咽喉科各検診。

昭和五四年四月二〇日審査会付議。四月二六日水俣病の可能性は否定できないとして認定相当の答申。四月二七日認定処分。

6被控訴人柳野正則

昭和四八年六月一八日申請。

昭和四九年一〇月五日眼科検診。一一月五日面接調査。

昭和五一年八月二六日耳鼻咽喉科、一〇月二四日精神医学、一一月六日内科各検診。

昭和五二年二月三日眼科検診。三月一五日審査会へ諮問。三月二六日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五四年一月七日内科検診。六月一三日湯の児病院調査。七月二七日審査会付議。七月三一日水俣病ではないとして棄却相当の答申。八月一日棄却処分。

7被控訴人久木田松太郎

昭和四八年六月二五日申請。

昭和四九年一〇月二八日眼科検診。一二月二〇日面接調査。

昭和五一年九月一七日耳鼻咽喉科検診。

昭和五二年二月一五日内科、二月一九日精神医学、五月一二日眼科各検診。六月七日審査会へ諮問。六月二五日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五四年五月四日内科、五月一八日耳鼻咽喉科、五月二九日眼科各検診。

昭和五五年一月一八日審査会付議。一月二四日水俣病ではないとして棄却相当の答申。一月二五日棄却処分。

8被控訴人福山ツルエ

昭和四八年七月二日申請。

昭和四九年一二月三日眼科検診。

昭和五〇年三月二七日面接調査。

昭和五一年一一月二二日耳鼻咽喉科検診。

昭和五二年七月三日精神医学、七月八日内科、九月八日眼科各検診。一一月一八日審査会へ諮問。一一月二五日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五四年一〇月二八日内科検診。

昭和五五年五月三〇日審査会付議。六月三日水俣病ではないとして棄却相当の答申。六月四日棄却処分。

9被控訴人福山貞行

昭和四八年七月二日申請。

昭和四九年一二月三日眼科検診。

昭和五〇年三月二七日面接調査。

昭和五一年一一月二二日耳鼻咽喉科検診。

昭和五二年七月三日精神医学、七月八日内科、九月二九日眼科各検診。一一月一八日審査会へ諮問。一一月二五日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五四年一〇月二八日内科検診。

昭和五五年五月三〇日審査会付議。六月三日水俣病ではないとして棄却相当の答申。六月四日棄却処分。

10被控訴人田上始

昭和四八年七月六日申請。

昭和四九年一二月二〇日眼科検診。

昭和五〇年四月一八日面接調査。

昭和五一年一二月七日耳鼻咽喉科検診。

昭和五二年八月二一日内科、一〇月二三日精神医学各検診。一二月一三日審査会へ諮問。一二月一七日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五四年一一月二二日内科検診。

昭和五五年八月二九日審査会付議。九月四日水俣病ではないとして棄却相当の答申。九月五日棄却処分。

11被控訴人川崎己代次

昭和四八年七月二六日申請。

昭和五〇年二月五日眼科検診。

昭和五二年一月二八日耳鼻咽喉科検診。一〇月七日面接調査。一〇月九日内科、一〇月二三日精神医学各検診。

昭和五三年一月一二日審査会へ諮問。一月二六日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五五年二月九日内科、二月二五日耳鼻咽喉科各検診。一〇月二四日審査会付議、要再検(資料不足)の理由で答申保留となる。

昭和五六年一月一四日、七月二八日眼科予診を予定したが、受診せず。

昭和五七年三月一六日、九月一日眼科予診を予定したが、受診せず。

昭和五八年四月一九日眼科予診を予定したが、受診せず。

12被控訴人宮本巧

昭和四八年九月七日申請。

昭和五〇年四月四日眼科検診。

昭和五二年一〇月四日面接調査。

昭和五三年七月三一日耳鼻咽喉科、一二月一〇日内科、一二月一六日精神医学各検診。

昭和五四年三月一二日審査会へ諮問。三月二三日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五六年七月一〇日、一二月一日眼科予診を予定したが、受診せず。

昭和五七年七月二〇日、一一月一六日眼科予診を予定したが、受診せず。

昭和五八年七月二九日耳鼻咽喉科、八月二日眼科予診、九月二一日内科の各検診を予定したが、いずれも受診せず。

13被控訴人白倉幸男

昭和四九年五月二日申請。

昭和五二年三月二八日面接調査。

昭和五三年五月三一日眼科、六月二日耳鼻咽喉科、七月二二日内科、七月二三日精神医学各検診。九月一二日審査会へ諮問。九月二八日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五六年六月二八日内科検診を予定したが、受診せず。

14被控訴人緒方正人

昭和四九年八月二八日申請。

昭和五〇年九月一一日眼科検診。

昭和五二年六月一六日耳鼻咽喉科検診。八月五日面接調査。

昭和五三年七月九日精神医学、七月三〇日内科各検診。

昭和五四年一月一〇日審査会へ諮問。一月二五日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五六年三月一五日精神科、五月二二日耳鼻咽喉科、五月二六日、一〇月二七日眼科の各検診を予定したが、いずれも受診せず。

昭和五七年六月一六日眼科予診、一〇月一三日耳鼻咽喉科予診、一一月九日眼科予診、一二月七日耳鼻咽喉科予診を予定したが、いずれも受診せず。

昭和五八年二月二三日、七月一三日耳鼻咽喉科予診、七月一五日眼科予診を予定したが、いずれも受診せず。

15被控訴人川野留一

昭和四九年八月三〇日申請。

昭和五〇年九月一三日眼科検診。

昭和五二年六月一七日耳鼻咽喉科検診。八月二六日面接調査。

昭和五三年三月二三日内科、四月二五日精神医学各検診。

昭和五四年一月一〇日審査会へ諮問。一月二五日審査会付議。一月三一日水俣病ではないとして棄却相当の答申。二月一日棄却処分。

16被控訴人森山忠

昭和四九年九月一四日申請。

昭和五二年一二月八日面接調査。

昭和五三年三月二四日耳鼻咽喉科、四月一五日内科、四月二五日精神医学、七月二四日眼科、九月一四日眼科各検診。

昭和五四年二月八日審査会へ諮問。二月一六日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五六年六月九日眼科、六月一〇日耳鼻咽喉科、一〇月三〇日眼科、一二月八日耳鼻咽喉科予診の各検診を予定したが、いずれも受診せず。

昭和五七年六月二二日眼科予診、九月一一日内科、一一月四日耳鼻咽喉科、一二月一四日眼科予診の各検診を予定したが、いずれも受診せず。

昭和五八年七月一五日眼科予診、七月二九日耳鼻咽喉科の各検診を予定したが、いずれも受診せず。

17被控訴人坂本輝喜

昭和五〇年一月一〇日申請。

昭和五三年五月二日面接調査。一〇月六日耳鼻咽喉科、一〇月一一日眼科各検診。

昭和五四年二月三日内科、二月一五日眼科、四月七日精神医学各検診。七月二〇日審査会へ諮問。七月二七日審査会付議。七月三一日水俣病ではないとして棄却相当の答申。八月一日棄却処分。

18被控訴人岩内次助

昭和四七年一一月一二日内科検診。

昭和四八年一二月七日眼科、一二月二八日眼科各検診。

昭和五〇年一二月八日申請。

昭和五三年五月一二日面接調査。九月二日内科、一〇月一四日精神医学各検診。

昭和五四年二月一〇日耳鼻咽喉科、七月二四日眼科各検診。

昭和五五年一月二四日眼科検診。四月二一日審査会へ諮問。四月二五日審査会付議。五月一日水俣病の可能性は否定できないとして認定相当の答申。五月二日認定処分。

19被控訴人川本ミヤ子

昭和五一年三月二日申請。

昭和五三年七月二二日面接調査。一〇月七日内科、一〇月二二日精神医学各検診。

昭和五四年四月二日眼科、一〇月一二日耳鼻咽喉科各検診。

昭和五五年一月一四日審査会へ諮問。一月一八日審査会付議。一月二四日水俣病ではないとして棄却相当の答申。一月二五日棄却処分。

20被控訴人荒木俊二

昭和五二年一月七日申請。

昭和五三年一二月一四日面接調査。

昭和五四年四月七日内科、四月八日精神医学、六月二七日眼科、九月七日耳鼻咽喉科各検診。一二月六日審査会へ諮問。一二月一四日審査会付議、要観察(一定期間をおいて検討)の理由で答申保留となる。

21被控訴人楠本直

昭和五二年五月一四日申請。

昭和五三年一二月二二日面接調査。

昭和五四年三月二四日内科、八月五日精神医学、八月一〇日眼科、八月一八日耳鼻咽喉科各検診。

昭和五五年一月一七日眼科検診。八月二六日審査会へ諮問。八月二九日審査会付議。九月四日水俣病ではないとして棄却相当の答申。九月五日棄却処分。

22被控訴人髙木正行

昭和五一年三月二日申請。

昭和五二年一二月一六日面接調査。一二月一八日精神医学、一二月二四日耳鼻咽喉科、内科各検診。

昭和五三年一二月二〇日眼科検診。

昭和五四年四月一四日審査会へ諮問。四月二〇日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

23被控訴人野崎幸満

昭和四八年六月一一日申請。

昭和四九年七月二二日眼科、七月二三日内科、七月二四日耳鼻咽喉科各検診。

昭和五一年二月四日面接調査。二月一七日審査会へ諮問。二月二八日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。五月二七日眼科、五月二九日内科、精神医学各検診。八月二〇日審査会付議、要再検(資料不足)の理由で答申保留となる。一一月二四日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五二年一〇月二九日審査会付議、一括検討(同一症例を集めて審査)の理由で答申保留となる。

昭和五七年九月審査会付議、認定相当の答申。九月二日認定処分。

24被控訴人大矢繁義

昭和四九年四月一六日申請。

昭和五三年一月二〇日面接調査。一月二一日内科、一月二二日精神医学、一月二三日眼科、一月二七日耳鼻咽喉科各検診。四月二〇日審査会へ諮問。四月二八日審査会付議、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となる。

昭和五七年八月二二日に神経内科検診を予定し、通知したが、八月一六日東海患者互助会から受診拒否の電話があつた。

四他方、成立に争いのない乙第八三号証によれば、昭和四五年一月から昭和五五年三月までの間の各月毎の申請件数、審査件数、未処分件数累計は別表二記載のとおりであることが認められる。

五そこで、右の各事実に照らして各被控訴人につき、知事の認定事務処理の経過を検討する。

1被控訴人仲村妙子

同被控訴人は、昭和四七年一二月一八日に申請し、昭和四九年一月一六日審査会に諮問され、同年二月一日の審査会に付議されているが、同被控訴人は昭和四七年一二月一五日までに検診を終了していたから、その後は審査会の順番待ちの状態で約一年一か月を経過したことになる。

ところで、別表二によれば、昭和四八年一月から昭和四九年三月までは、審査会は二か月に一回開催され、各回平均八〇件を審査し、昭和五〇年五月から昭和五二年一〇月までは、一か月に一回開催され、各回平均八〇件を審査し、昭和五二年一一月以降は一か月に一回開催され、各回平均一二〇ないし一三〇件を審査していることが認められ、右の事実に鑑みると、昭和四八年当時においても、審査会を一か月に一回開催し、各回八〇件を審査するという態勢はとることが可能であり、また昭和五〇年五月当時において、審査会を一か月に一回開催し、各回一二〇件を審査するという態勢をとることが可能であつたと考えられる。

なお、検診については、一か月一二〇人検診の場合でも、月に二〇日検診日を設けるとして一日あたり六人であつて、どの時期においても、それが実施困難な数であるとは考えられないところである。

別表二によれば、昭和四七年一二月末には、未処分件数累計が四一一件となつており、これを解消するには、月一回審査会開催、八〇件審査という態勢をとつたとしても、約六か月を要するわけであり、本件認定申請事務が人の健康被害に係る案件であることを合わせ考えると、少なくとも右程度の事務処理態勢をとるのが相当であつたと考えられる。

次に、同被控訴人は、昭和四九年二月一日の審査会において、要観察(一定期間おいて検討)の理由で答申保留となり、その後耳鼻咽喉科、眼科、内科の各検診を受け、面接調査を受けて、約一年七か月後の昭和五〇年八月二二日の審査会に付議され、同審査会において、同一理由で答申保留となるなどして、昭和五四年五月二六日の認定処分までに計五回にわたり答申保留となつている。

もつとも、<証拠>によれば、昭和四六年から昭和五五年までの一〇年間に、審査会において一回以上答申保留とされた者の数は一五三六名であるが、その中で、一回答申保留となつた後、次回の審査会で答申がなされた者が一二七〇名で、同被控訴人のように五回答申保留となつた者は右一〇年間を通じて四名しかなく、稀有の例であることを窺うことができる。

しかし、右の要観察(一定期間おいて検討)という理由で答申保留となり、その後あらためて各科の検診を受け、一年七か月もの期間をおいて次回の審査会に付議されるという事務処理経過については、次のような疑問を抱かざるを得ない。(なお、前記認定のとおり、本件被控訴人らは、被控訴人川野留一、同坂本輝喜、同岩内次助、同川本ミヤ子、同楠本直の五名を除き、右要観察の理由で一回ないし数回答申保留となつている。)

イ  <証拠>によれば、熊本県公害被害者認定審査会及び熊本県公害健康被害認定審査会における処理区分として、「6A 要再検(資料不足)」のほかに、「6B 要観察(一定期間おいて検討)」という項目があること、右の6Bとして答申保留になつた場合、一定期間として期間が示されるものではなく、また右6Aと異なり、期間を置くことによつてどのようなことが明らかになるのかという見通しが示されるものでもなく、更に慎重に検診、審査をすべきであるという理由によるもので、右の理由で答申保留となつた者は、その時点におけるあらたな認定申請者と同列の位置に置かれ、あらためて検診、審査の順番を待つという扱いをされ、結局、右にいう一定期間とは、ただ次の検診、審査の順番が到来するまでの期間となつていたことが認められる。

しかし、右のような場合には、むしろ処理区分中の「5 わからない(判定不能)。」という答申を受けたうえ、知事は、審査会における審議の際に述べられた各意見や疫学関係調査資料等を検討するなどして、自らの行政的判断に基づき、認定または棄却の処分を行うべきではないかと考えられる。

なお、<証拠>によれば、昭和四九年九月当時、環境庁においても、審査会が先の見通しもなく答申を保留している場合には、わからないという答申をしてもらつて、知事がなにがしかの処分をすべきであるという見解を有していたことが認められ、右事実に照らしても、右のような配慮をすべきであつたといわざるを得ない。

ロ  <証拠>によれば、審査会における審査は、検診医が記入した検査項目該当所見の有無及び所見の要約を記載した書面及び熊本県職員であるケースワーカーが作成した疫学調査記録(面接調査記録)に基づく、いわば書面審査であることが認められる。

ところで、<証拠>によれば、新潟県及び新潟市の各公害健康被害認定審査会においては、検診医作成のカルテそのものが審査会に提出され、審議の際には検診医が出席して説明し、意見を述べ、委員からの質問に応じていること、一か月以内に再検査して答申するという場合はあるが、答申保留という処理区分はないことが認められる。

申請者が水俣病にかかつているか否かについての判断は、前記のような書面審査のみによつては判断が困難な場合があり、答申保留につながる場合がありうるものと考えられ、改善の余地があるのではないかと考えられる。

ハ  <証拠>によれば、審査会においては、委員全員の意見が一致しない限り、申請者が水俣病にかかつているか否かについて、積極、消極、不明のいずれの答申もせず、前記6Aまたは6Bとする運用をしていることが認められる。

ところで、熊本県公害被害者認定審査会条例及び熊本県公害健康被害認定審査会条例には、「審査会の議事は、出席委員の過半数で決し、可否同数のときは会長の決するところによる。」と定められているから、右規定にしたがつて運用するか、あるいは、委員全員の意見が一致しないとして、各意見を併記してそのまま答申するというような運用をするなど、工夫、改善の余地があるのではないかと考えられる。

ニ  <証拠>によれば、熊本県公害健康被害認定審査会の委員は、一〇名全員が医師であることが認められる。

ところで、救済法においては、審査会の委員は医学に関し学識経験を有する者のうちから任命すると規定されていたが、補償法においては、審査会の委員は医学、法律学その他公害に係る健康被害の補償に関し学識経験を有する者のうちから任命すると規定されており、このことは、審査会における審議や答申手続に、医学的見地からの判断ばかりでなく、補償法の目的という見地からの判断や意見が加わり、最終的に知事が行う行政的判断に資することとなり、認定事務処理の促進がはかられることが期待されているのではないかと考えられ、この点においても改善の余地があるのではないかと考えられる。

以上のとおりであつて、同被控訴人については、知事において、未処分累計が四一一件に達した昭和四八年一月から月八〇人検診、審査の態勢をとつていたとすれば、昭和四八年六月中には審査会に付議されたというべきであること及び審査会に付議された以上、同被控訴人に前記認定のとおり要再検の所見があつたことや、前記乙第九〇号証の一によつて認められる重症申請者の順番繰上げによる影響で審査があとまわしになる場合もあることを考慮しても、さらに三か月を経過した昭和四八年一〇月中には知事は審査会の答申を受けたうえ、同被控訴人の認定申請に対する処分をすべきであつたもので、知事が昭和四八年一一月から昭和五四年四月までの間同被控訴人に対する処分をしなかつたのは違法というべきである。

2被控訴人長浜実義

同被控訴人は、昭和四八年六月四日申請したもので、各科検診及び疫学調査を受け、約三年四か月後の昭和五一年一〇月三〇日の審査会に付議され、前記6Bの理由で答申保留となつている。

ところで、未処分累計が四一一件に達した昭和四八年一月から一か月八〇人検診、審査を、さらに未処分累計が増加した昭和五〇年五月からは一か月一二〇人検診、審査を実施し、かつ審査会付議後はただちに答申を受けて処分をしたと仮定した場合における未処分累計の推移を試算してみると、別表三記載のようになる。

なお、<証拠>を総合すると、昭和四九年一一月から昭和五〇年四月までの六か月間は、水俣病認定申請患者協議会等の抗議行動等が原因で審査会の審議ができなつたことが認められ、右期間における審査及び処分の停止は客観的にみてやむを得ないものであつたと考えられるから、右期間は審査及び処分をしないものとして試算する。

右別表三によれば、昭和四八年一月から月八〇人検診、審査、処分を実施した場合、同被控訴人が認定申請をした月である昭和四八年六月の末日現在の未処分件数は一〇六八件であるから、同被控訴人については、昭和四九年八月中には処分に至るはずであり、重症申請者の順番繰上げによる遅延を考慮して、更に三か月を加算しても、昭和四九年一二月中には処分がなされるべきであつて、昭和五〇年一月から昭和五四年七月まで知事が処分しなかつたのは違法というべきである。

3被控訴人西川末松

同被控訴人については、右2と同様であつて、昭和五〇年一月から原審口頭弁論終結の日の前月である昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

4被控訴人松崎重光

同被控訴人についても、右2と同様であつて、昭和五〇年一月から昭和五四年一月まで知事が処分しなかつたのは違法というべきである。

5被控訴人坂本吉高

同被控訴人についても、右2と同様であつて、昭和五〇年一月から昭和五四年三月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

6被控訴人柳野正則

同被控訴人についても、右2と同様であつて、昭和五〇年一月から昭和五四年七月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

7被控訴人久木田松太郎

同被控訴人についても、右2と同様であつて、昭和五〇年一月から昭和五四年一二月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

8被控訴人福山ツルエ

同被控訴人は、昭和四八年七月二日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和四八年七月末における未処分件数は一二八三件であり、同被控訴人については、昭和五〇年五月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五〇年九月中には処分がなされるべき であり、知事が昭和五〇年一〇月から昭和五五年五月まで処分をしなかつたのは違法というべきである。

9被控訴人福山貞行

同被控訴人については、右8と同様であつて、昭和五〇年一〇月から昭和五五年五月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

10被控訴人田上始

同被控訴人についても、右8と同様であつて、昭和五〇年一〇月から昭和五五年八月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

11被控訴人川崎己代次

同被控訴人についても、右8と同様であつて、昭和五〇年一〇月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

12被控訴人宮本巧

同被控訴人は、昭和四八年九月七日申請したものであり、別表三記載のとおり試算すると、昭和四八年九月末における未処分件数は一四四八件で、同被控訴人は昭和五〇年八月中には処分に至るべきところ、更に三か月を経過した昭和五〇年一二月中には処分がなされるべきであり、昭和五一年一月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

13被控訴人白倉幸男

同被控訴人は、昭和四九年五月二日申請したものであり、別表三記載のとおり試算すると、昭和四九年五月末における未処分件数は一三四九件であり、同被控訴人については、昭和五〇年一二月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五一年四月中には処分がなされるべきであり、昭和五一年五月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

14被控訴人緒方正人

同被控訴人は昭和四九年八月二八日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和四九年八月末における未処分件数は一三二八件であるから、同被控訴人については、昭和五一年二月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五一年六月には処分がなされるべきであり、昭和五一年七月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

15被控訴人川野留一

同被控訴人については、右14と同様であつて、昭和五一年七月から昭和五四年一月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

16被控訴人森山忠

同被控訴人は、昭和四九年九月一四日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和四九年九月末における未処分件数は一二九六件であるから、昭和五一年三月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五一年七月中には処分がなされるべきであり、昭和五一年八月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは、違法というべきである。

17被控訴人坂本輝喜

同被控訴人は、昭和五〇年一月一〇日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和五〇年一月末における未処分件数は一四〇七件であるから、昭和五一年四月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五一年八月中には処分がなされるべきであつて、昭和五一年九月から昭和五四年七月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

18被控訴人岩内次助

同被控訴人は、昭和五〇年一二月八日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和五〇年一二月末における未処分件数は九一六件であるから、昭和五一年八月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五一年一二月中には処分がなされるべきであり、昭和五二年一月から昭和五五年四月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

19被控訴人川本ミヤ子

同被控訴人は、昭和五一年三月二日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和五一年三月末における未処分件数は六九〇件であるから、同被控訴人は昭和五一年九月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五二年一月には処分がなされるべきであり、昭和五二年二月から昭和五四年一二月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

20被控訴人荒木俊二

同被控訴人は、昭和五二年一月七日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和五二年一月末における未処分件数は二八件であり、同被控訴人は昭和五二年二月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五二年六月中には処分がなされるべきであり、昭和五二年七月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

21被控訴人楠本直

同被控訴人は、昭和五二年五月一四日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和五二年五月末における未処分件数はなく、同被控訴人は昭和五二年六月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五二年一〇月中には処分がなされるべきであり、昭和五二年一一月から昭和五五年八月まで知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

22被控訴人髙木正行

同被控訴人については、前記19と同様であつて、昭和五二年二月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

23被控訴人野崎幸満

同被控訴人については、前記2と同様であつて、昭和五〇年一月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

24被控訴人大矢繁義

同被控訴人は、昭和四九年四月一六日申請したもので、別表三記載のとおり試算すると、昭和四九年四月末の未処分件数は一三四七件で、同被控訴人は昭和五〇年一二月中には処分に至るべきところ、更に三か月を加算した昭和五一年四月中には処分がなされるべきであり、昭和五一年五月から昭和五七年八月までの間知事が処分をしなかつたのは違法というべきである。

六次に、前記認定の申請事務処理の経過に鑑みると、知事において認定事務遅延という結果を回避しうる可能性がなかつたとは到底いえないし、知事が本件各被控訴人らの申請に係る事務の処理につき万全の措置を講じたものとは認め難いから、前記認定の各期間の処分の遅滞については、知事に過失があつたものといわざるを得ない。

七ところで、知事の行う水俣病認定申請業務は控訴人国の機関委任事務であること及び控訴人県が右事務についての国賠法三条の費用負担者であることは、当事者間に争いがなく、右事実によれば、控訴人らは国賠法一条、三条に基づき、本件認定申請に対する知事の処分の遅滞によつて被控訴人らが受けた損害を賠償する義務があるものというべきである。

八そして、本件認定申請に対する知事の処分の遅滞によつて、被控訴人らが焦燥、不安の気持を抱き、精神的苦痛を受けたことは肯認することができるけれども、他方<証拠>によれば、控訴人県は国の補助を得て昭和四九年から水俣病認定申請者治療研究事業を実施し、その内容は逐年改善されてきていること、被控訴人らは右事業に基づき、原判決別紙「治療研究事業に係る医療費等支給実績一覧表」記載のとおりの給付を受けていることが認められるところ、右給付は申請事務処理期間中における医療費等の出費を補填するもので、処分の遅延による精神的損害を補填するものではないが、右の制度が実施されていることにより、ひいては被控訴人らの精神的損害も軽減されるというべきであり、このことも合わせ考えると、本件処分の遅延により被控訴人らが受けた精神的苦痛を慰謝すべき金額は、前記認定の違法な遅延期間一か月につき金五〇〇〇円をもつて相当というべきである。

九なお、被控訴人仲村妙子、同長浜実義、同坂本吉高、同岩内次助は、知事の未認定という不作為による違法状態の作出に基づき、右違法状態の存続期間中に支払を受けうべき終身特別調整手当金額相当の損害を被つたと主張するが、右各被控訴人につき、前記認定の違法とされた期間中に確実に水俣病としての認定を受けることができた事実を認めうる資料がないばかりでなく、仮に右期間中に認定を受けることができたにせよ、その時点を確定しうる資料がないので、右主張は採用できない。

一〇次に、控訴人らは、水俣病認定申請者研究事業に基づき被控訴人らが受けた前記給付は、被控訴人らの損害額と相殺されるべきであると主張するので検討するに、<証拠>によれば、右事業は、「一定の水俣病認定申請者に対し、県がこれらの者の病状の変化を把握するため、治療等に要した経費の一部を助成する事業」であつて、認定申請に対する処分の遅滞による損害の賠償とは本質を異にするものであり、また、認定申請者の疾病の治療等に要する経費の出費は、認定申請に対する処分の遅滞によつて生じる損害ではなく、処分の遅滞による損害の賠償を受けた場合、右事業に基づいて受けた給付が不当利得となるものではないと考えられるから、右八において判示したとおり、右事業が実施されていることを被控訴人らの精神的苦痛が軽減される事由として考慮することは格別、右事業に基づいて受けた給付と被控訴人らの損害額を相殺するのは相当でないというべきである。

なお、右各号証によれば、右事業の要項には、昭和四九年度から昭和五二年度までは、「研究治療費等を受けた者が、公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法に基づく医療費、医療手当若しくは介護手当又はこれらに相当する給付を受けた場合は、その価額の限度においてすでに支給した研究治療費等の額を県に返還しなければならない。」と、昭和五三年度から昭和五七年度までは、「対象者は、支給を受けた研究治療費等に相当する損害賠償その他の給付を受けた場合には、その給付の範囲内において既に支給を受けた研究治療費等に相当する額を、速やかに知事に返還しなければならない。」と定められており、右事業に基づいて受けた給付金は、申請者が認定申請に係る疾病について将来補償を受け、あるいは損害賠償を受けた場合には、県に返還しなければならないものであることが認められるから、このことに照らしても、右給付金自体を本件被控訴人らの損害額の算定にあたり、損益相殺の対象とするのは相当でないというべきである。

一一更に、控訴人らの過失相殺の主張につき判断するに、前記認定のとおり被控訴人西川末松は昭和五五年九月以降、同川崎己代次は昭和五六年一月以降、同宮本巧は昭和五六年七月以降、同白倉幸男は昭和五六年六月以降、同緒方正人は昭和五六年三月以降、同森山忠は昭和五六年六月以降、同大矢繁義は昭和五七年八月以降検診を受けないか、あるいは受診を拒否していることが認められ、右事実によれば、同被控訴人らについては、右受診拒否等をなした期間において、その認定申請に対する処分が遅延したことの原因の一半は、同被控訴人らがその申請に係る事務の処理に協力すべき義務を怠つたことにあるというべきであるから、本件損害賠償の額を定めるにつき、同被控訴人らの右過失を斟酌し、右受診拒否等をなした各期間については、同被控訴人らが受けた精神的苦痛を慰謝すべき金額は、前記金額からその二分の一を減じた金額をもつて相当というべきである。

なお、控訴人らは、被控訴人松崎重光、同柳野正則、同久木田松太郎、同福山ツルエ、同福山貞行、同田上始、同坂本輝喜、同川本ミヤ子についても過失相殺を主張するが、同被控訴人らについては、本件各認定申請からこれに対する各処分がなされるまでの間に受診拒否等の所為があつた事実を認めうる証拠はない。

一二次に、被控訴人ら主張の弁護士費用は、右認容額の一割にあたる金額をもつて相当というべきである。

一三以上のとおりであつて、被控訴人らの本件各請求は、別表一記載の各金員及びこれに対する不法行為の後である昭和五七年九月三〇日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は正当であり、その余は失当である。

よつて、右と異なる原判決に対する本件控訴は一部理由があるから、原判決を変更し、被控訴人らの各請求を右認定の限度で認容し、その余を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条を適用し、なお、仮執行の宣言の申立については相当でないから、これを却下することとし、主文のとおりに判決する。

(裁判長裁判官齋藤次郎 裁判官石井義明 裁判官松村雅司)

別表一

番号

被控訴人

慰謝料

弁護士費用

合計金額

1

仲村妙子

三三万円

三万三〇〇〇円

三六万三〇〇〇円

2

長浜実義

二七万五〇〇〇円

二万七五〇〇円

三〇万二五〇〇円

3

西川末松

四〇万円

四万円

四四万円

4

松崎重光

二四万五〇〇〇円

二万四五〇〇円

二六万九五〇〇円

5

坂本吉高

二五万五〇〇〇円

二万五五〇〇円

二八万〇五〇〇円

6

柳野正則

二七万五〇〇〇円

二万七五〇〇円

三〇万二五〇〇円

7

久木田松太郎

三〇万円

三万円

三三万円

8

福山ツルエ

二八万円

二万八〇〇〇円

三〇万八〇〇〇円

9

福山貞行

二八万円

二万八〇〇〇円

三〇万八〇〇〇円

10

田上始

二九万五〇〇〇円

二万九五〇〇円

三二万四五〇〇円

11

川崎己代次

三六万五〇〇〇円

三万六五〇〇円

四〇万一五〇〇円

12

宮本巧

三六万五〇〇〇円

三万六五〇〇円

四〇万一五〇〇円

13

白倉幸男

三四万二五〇〇円

三万四二五〇円

三七万六七五〇円

14

緒方正人

三二万五〇〇〇円

三万二五〇〇円

三五万七五〇〇円

15

川野留一

一五万五〇〇〇円

一万五五〇〇円

一七万〇五〇〇円

16

森山忠

三二万七五〇〇円

三万二七五〇円

三六万〇二五〇円

17

坂本輝喜

一七万五〇〇〇円

一万七五〇〇円

一九万二五〇〇円

18

岩内次助

二〇万円

二万円

二二万円

19

川本ミヤ子

一七万五〇〇〇円

一万七五〇〇円

一九五二五〇〇円

20

荒木俊二

三一万円

三万一〇〇〇円

三四万一〇〇〇円

21

楠本直

一七万円

一万七〇〇〇円

一八万七〇〇〇円

22

高木正行

三三万五〇〇〇円

三万三五〇〇円

三六万八五〇〇円

23

野崎幸満

四六万円

四万六〇〇〇円

五〇万六〇〇〇円

24

大矢繁義

三七万七五〇〇円

三万七七五〇円

四一万五二五〇円

(総計 七七一万九二五〇円)

別表二

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

昭和45年

申請件数

92

2

1

2

1

2

1

1

審査件数

67

22

認定件数

67

5

棄却件数

2

処分、答申保留件数

15

申請、処分件数差

25

2

1

2

-7

1

2

1

1

未処分累計

25

27

28

30

30

23

24

26

27

27

27

28

昭和46年

申請件数

3

7

11

53

23

7

20

17

16

10

審査件数

15

18

32

認定件数

13

16

29

棄却件数

1

処分、答申保留件数

2

1

3

申請、処分件数差

3

-6

11

53

23

7

20

0

16

-19

未処分累計

28

28

31

25

36

89

112

119

139

139

155

136

昭和47年

申請件数

44

55

65

27

42

30

27

35

41

18

20

35

審査件数

21

59

59

58

認定件数

18

39

48

49

棄却件数

5

5

処分、答申保留件数

3

15

6

9

申請、処分件数差

44

55

65

27

42

12

-17

35

41

-35

20

-14

未処分累計

180

235

300

327

369

381

364

399

440

405

425

411

昭和48年

申請件数

104

62

59

153

240

519

295

228

97

69

49

49

審査件数

63

80

90

100

80

87

認定件数

50

50

67

44

44

43

棄却件数

2

1

2

11

13

11

処分、答申保留件数

11

29

21

43

23

33

申請、処分件数差

52

62

59

102

240

450

295

173

97

12

49

-5

未処分累計

463

525

584

686

926

1376

1671

1844

1941

1953

2002

1997

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

昭和49年

申請件数

55

73

77

87

82

62

63

94

48

72

37

46

審査件数

86

83

認定件数

44

29

棄却件数

6

16

処分、答申保留件数

36

38

申請、処分件数差

55

23

77

42

82

62

63

94

48

72

37

46

未処分累計

2,052

2,075

2,152

2,194

2,276

2,338

2,401

2,495

2,543

2,615

2,652

2,698

昭和50年

申請件数

36

38

16

26

18

36

30

35

72

104

57

37

審査件数

25

77

86

57

85

84

90

60

認定件数

9

15

32

11

12

13

36

棄却件数

8

9

1

6

処分、答申保留件数

16

62

54

46

67

70

108

申請、処分件数差

36

38

16

26

18

27

15

3

53

83

43

-5

未処分累計

2,734

2,772

2,788

2,814

2,832

2,859

2,874

2,877

2,930

3,013

3,056

3,051

昭和51年

申請件数

31

45

58

47

56

46

65

90

50

36

71

44

審査件数

70

80

53

93

48

80

80

60

80

16

40

認定件数

12

6

8

30

16

11

10

6

5

棄却件数

6

7

9

23

18

2

9

10

0

処分、答申保留件数

52

67

36

91

46

67

41

64

11

申請、処分件数差

31

27

45

30

56

-7

65

56

37

17

55

39

未処分累計

3,082

3,109

3,154

3,184

3,240

3,238

3,298

3,354

3,391

3,408

3,463

3,502

昭和52年

申請件数

33

47

64

65

99

95

82

108

165

79

168

203

審査件数

60

80

70

50

79

58

35

41

80

120

121

認定件数

6

8

9

9

5

10

4

19

13

24

58

15

棄却件数

6

9

6

2

3

3

2

0

2

12

26

27

処分、答申保留件数

28

43

65

59

42

66

52

16

26

44

156

79

申請、処分件数差

21

30

49

54

91

82

76

89

150

43

84

161

未処分累計

3,523

3,553

3,602

3,656

3,747

3,829

3,905

3,994

4,144

4,187

4,271

4,432

1月

2月

3月

4月

5月

6月

7月

8月

9月

10月

11月

12月

昭和53年

申請件数

131

89

107

180

99

99

46

58

75

102

104

58

審査件数

122

100

120

120

80

80

120

119

120

120

認定件数

39

16

15

8

27

15

9

14

棄却件数

31

32

30

27

60

44

40

32

処分、答申保留件数

152

72

75

45

113

60

71

74

申請、処分件数差

131

19

107

132

54

99

11

-29

75

43

55

12

未処分累計

4,563

4,582

4,689

4,821

4,875

4,974

4,985

4,956

5,031

5,074

5,129

5,141

昭和54年

申請件数

72

67

79

72

70

74

40

45

75

115

62

67

審査件数

120

100

53

130

130

130

130

131

130

0

100

130

認定件数

21

22

5

22

20

10

5

12

棄却件数

100

79

52

76

119

67

42

66

処分、答申保留件数

99

82

73

32

122

53

53

52

申請、処分件数差

2

-54

79

-29

13

74

-58

-94

-2

15

-11

未処分累計

5,213

5,159

5,238

5,209

5,222

5,296

5,238

5,144

5,219

5,257

5,272

5,261

昭和55年

申請件数

48

71

66

審査件数

130

130

130

認定件数

8

11

棄却件数

77

71

処分、答申保留件数

45

48

申請、処分件数差

-37

71

-16

未処分累計

5,224

5,295

5,279

別表三

昭和48年

昭和49年

昭和50年

昭和51年

申請

処分

未処分

申請

処分

未処分

申請

処分

未処分

申請

処分

未処分

1月

104

80

435

55

80

1350

36

0

1407

31

120

827

2月

62

80

417

73

80

1343

38

0

1445

45

120

752

3月

59

80

396

77

80

1340

16

0

1461

58

120

690

4月

153

80

469

87

80

1347

26

0

1487

47

120

617

5月

240

80

629

82

80

1349

18

120

1385

56

120

553

6月

519

80

1068

62

80

1331

36

120

1301

46

120

479

7月

295

80

1283

63

80

1314

30

120

1211

65

120

424

8月

228

80

1431

94

80

1328

35

120

1126

90

120

394

9月

97

80

1448

48

80

1296

72

120

1078

50

120

324

10月

69

80

1437

72

80

1288

104

120

1062

36

120

240

11月

49

80

1406

37

0

1325

57

120

999

71

120

191

12月

49

80

1375

46

0

1371

37

120

916

44

120

115

昭和52年

昭和53年

昭和54年

昭和55年

申請

処分

未処分

申請

処分

未処分

申請

処分

未処分

申請

処分

未処分

1月

33

120

28

131

120

146

72

72

0

48

48

0

2月

47

75

0

89

120

115

67

67

0

71

71

0

3月

64

64

0

107

120

102

79

79

0

66

66

0

4月

65

65

0

180

120

162

72

72

0

5月

99

99

0

99

120

141

70

70

0

6月

95

95

0

99

120

120

74

74

0

7月

82

82

0

46

120

46

40

40

0

8月

108

108

0

58

104

0

45

45

0

9月

165

120

45

75

75

0

75

75

0

10月

79

120

4

102

102

0

115

115

0

11月

168

120

52

104

104

0

62

62

0

12月

203

120

135

58

58

0

67

67

0

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例